東京高等裁判所 昭和28年(う)266号 判決 1953年6月26日
控訴人 原審検察官
被告人 大高初夫こと李元文
検察官 野中光治
主文
原判決を破棄する。
本件を清水簡易裁判所に差し戻す。
理由
検察官の控訴趣旨は別紙記載のとおりで、これに対する当裁判所の判断は以下に示すとおりである。
論旨第二点について、
論旨は本件においては告発の取消があつたものと見るべきではないというのである。そこで、論旨の引用する収税官吏大蔵事務官山崎錠一の検察官に対する供述について見ると、同人は最初昭和二十五年三月三十一日附で被告人を密造焼酎所持の事実について告発したが、その後被告人が自らこれを密造したという事実を自白したことを聞いたので、密造罪として改めて告発しようと思つて同年十一月三十日に前記告発の取下を出し、その後さらに告発しようと思つているうちに被告人の所在が不明になり、あまり遅くなつたので結局また前と同じ所持罪で告発した、というのである。そして、記録によると、再度提出した告発書の日附は昭和二十七年四月十七日になつていて最初に提出した告発書とは別個に作成されたものであることが明らかであるから、本件告発に関する経緯は、一度提出した告発書を一時借り戻して再び検察官に返却したというようなことではなく、最初の告発を一旦取り消して(「告発の取下を出した」というのであるから、書面によつて告発取消の意思表示をしたものと判断される。)後日別個の告発書を提出したものであることが認められる。ところで、右に引用した山崎錠一の供述からすると、論旨のいうとおり、同人としては被告人の処罰をもはや求めないという趣旨で告発の取消をしたものではないことはわかる。また、それより重い罪で告発し直そうと思つて軽い罪の告発を撤回したというのであるから、少くとも軽い罪による処罰を求める意思はあつたということもある意味ではいえるのであろう。しかしながら、同人はこの場合ともかく密造酒所持罪で処罰を求めたのを一旦は検察官に対して取り消しているのである。その場合たとえ内心において終局的には処罰の希望を捨てず、後日再び告発する意思をもつていたとしても、告発が一の意思表示である以上、告発の相手方たる検察官に対しこれを取り消す意思表示をすれば、法律上は告発の取り消があつたとみるのほかはない。それゆえ、本件では昭和二十五年十一月三十日に一度告発の取消があり、その後同一の事実につき再度告発がなされたものと見るべきことは疑のないところであつて、告発の取消がなかつたとする論旨は理由がないといわなければならない。
論旨第一点について。
論旨は、まず、国税犯則事件の告発は国税犯則取締法の規定によつてなすべきものであるのに、同法には告発の取消に関する規定がないから、同事件の告発はこれを取消すことができないと主張する。なるほど国税犯則事件における収税官吏、国税局長又は税務署長(以下当該官吏ということにする。)の告発は国税犯則取締法にその根拠を有するものともいえるし、その告発が一の訴訟条件とされているのも同法の解釈によつてしかるのである。また、その告発に関し同法に特別の規定があればそれによることも当然であろう。しかし、それだから右の告発には一切刑事訴訟法の規定の適用がなく、しかも国税犯則取締法には告発の取消に関する規定がないから取消を許さないというのは論理の飛躍である。もともと国税犯則取締法に告発に関する規定があるのは、収税官吏が一定の場合に告発をしなければならないことを定めるためであつて、またそれだけのことである。そこに「告発」という概念が用いられていることから見ても、それは当然刑事訴訟法にいう告発であることを前提とし、特別の定のない限り刑事訴訟法の規定に従つてなさるべきことを予定しているものと解しなければならない。もし告発の根拠又はそれが訴訟条件となつている根拠が特別法にある場合にはその告発には刑事訴訟法の規定の適用がないというのならば、刑事訴訟法第二百三十八条の規定をどう説明するのであろうか。同条には「告発を待つて受理すべき事件」についての規定があるのであるが、刑事訴訟法自体には特定の罪につき告発を訴訟条件とする旨の規定は一つもないのである。従つてその告発の根拠もしくはその告発が訴訟条件をなすことが他の法令に規定されているということはなんら刑事訴訟法の適用を排除する理由にならないといわなければならない。もつとも、論者あるいは告発については告訴に関する刑事訴訟法第二百三十七条のごとき規定が同法中にないことを理由として、他の法令にかくのごとき規定がない以上告発の取消は許されないと主張するかもしれない。そして、他方私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第九十六条に「第一項の告発は、公訴の提起があつた後は、これを取消すことができない。」との規定のあることをその論拠とするかもしれない。しかし、もしこの議論を正しとするならば、特別法に基かない一般の告発は取消すことができないという結論になつてしまうであろう。そうではなくて、告訴及び告発の取消をなしうることは刑事訴訟法の当然前提とするところで、同法第二百三十七条、第二百三十八条、第二百四十条、第二百四十三条等はいずれもこれを前提として設けられたもの、なかんずく第二百三十七条第一項はそれによつてはじめて告訴の取消が許されるのではなく、むしろ告訴の取消について特に時期的制限を設ける趣旨の規定であると解するのが合理的である。そして、前記独占禁止法第九十六条の規定も、特にそれによつて告発の取消を許すという趣旨のものではなく、その取消の時期を制限する規定であることは、その立言の形式からいつても、また同条の制定されたのが旧刑事訴訟法施行当時のことで、告訴が第二審の判決のあるまで取消すことができた時代のことであることからいつても明らかだといわなくてはならない。それゆえ、国税犯則取締法に特別の規定がないという理由で同法所定の告発が取消すことのできないものであるとする所論は採用することができない。
次に論旨は、国税犯則取締法上の告発の取消は許されないとする実質的な理由として、右の告発が義務的なものであるという点を挙げている。なるほど同法の規定の文言から見ても告発は当該官吏の義務とされていると読めるし、もともと間接国税に関する犯則事件において告発が訴訟条件と解されている理由は、右の事件には通告処分の制度があり、犯則者が通告の旨を履行すれば同一事件について起訴してはならないのであるから検察官としては、通告処分の権を有する当該官吏の告発がなければ、はたして通告処分があつたかどうか、また通告の手続をする意思があるかどうかもわからず、従つてもし告発を待たずに公訴を提起してよいものとすれば、通告のあつたのにかかわらず検察官が公訴を提起することを保し難く、また場合によつては犯則者から通告処分履行の機会を奪うことになるという点にあるわけであるから(明治三五年六月三〇日大審院判決、判決録八輯六巻二〇〇頁参照)、この趣旨からすれば、当該官吏は法律所定の事由のある場合には必ず告発をする義務があるものであつて、一般の場合のように他の事情を考慮して告発するかしないかを決する裁量権はないと解するのが正しい。そして、かように解するならば、当該官吏は、一旦なした告発を自由に取消すこともできないというべきで、所論はその点においては理由があるといえる。しかしながら、この告発をいかなる場合にも取り消すことができないかどうかはなお問題であるといわなければならない。なんとなれば、告発について裁量権がないといつても、なお当該官吏には告発の前提をなす犯則の有無についての認定権はあるのである。当該官吏としては、犯則ありと考えた場合にこれを不問に附することは許されないと同時に、犯則の嫌疑ないしは心証がない場合にはむしろ告発をしてはならないのである。としてみれば、一旦告発をした後においても、もしなんらかの事由によりその告発にかかる事実が存在せず又は犯則者が人違いであつたことを発見したような場合(右の告発は一般のそれと異なり、対人的効力を有すると解する。)には、その告発を取消すことは適法だといわなければならないのではなかろうか。少くとも告発の取消を禁ずる明文のない現行法下にあつてはかく解するほかないと思われる。としてみれば、右の告発の取消は事由のいかんによつては許される場合もあることになるのであり、そして他方告発を取り消すにつき一々その理由を示すことは法の要求するところではないから、たとえその取消が具体的には許されない場合であつたとしても、いやしくもこれを取り消した以上はこれをもつて無効のものとすることはできない筋合である。本件における告発の取消がはたして正当な事由に基くものといえるかどうかについてはなお論議の余地があろうけれども、右に述べた理由によつてその取消はいずれにしても有効なものと見るほかはない。従つて本件告発の取消が無効であるとする所論は結局採用し難く、この点の論旨も理由がないことに帰着する。
論旨第三点について。
原判決は、前記告発の取消が有効なものであることを前提として、刑事訴訟法第二百三十七条第二項の類推適用により再度の告発が禁止されると解し、再度の告発に基く本件公訴を棄却したのである。そこで問題は、本件のごとく告発を待つて受理すべき事件の告発に右の規定の類推適用があるかどうかということになる。ところで、この点については、論旨も指摘するように、前記条文の次に位置する同法第二百三十八条との関係を顧慮しなければならない。すなわち、同条第二項には、第一項の規定を告発又は請求を待つて受理すべき事件についての告発若しくは請求又はその取消について準用する旨の明文があるのに対し、第二百三十七条第三項は、前二項の規定を請求を待つて受理すべき事件についての請求について準用するだけで、告発についてはこれを準用していないのである。従つて、いわゆる反対解釈の論理からすれば、ここに問題となる第二百三十七条第二項の規定は、告発を待つて受理すべき事件の告発には準用がないと解するほかはない。これに対し、原判決は、この場合告発の取消と請求の取消とを区別して取り扱うべき理由はない、というのであるけれども、いわゆる請求の代表的なものは刑法第九十二条所定のそれであつて、これはその本質からいえばむしろ親告罪の告訴と同一のものであり、告発を待つて論ずる罪の告発が公益の見地からなされるのとは趣を異にすることを思えば、一概にこれを理由のない差別とすることもできないのである(もつとも、同じく請求を待つて論ずる罪である労働関係調整法第三十九条の罪における労働委員会の請求は、本件の場合の告発と同様の性質のもので、この請求に関する限りは区別の実質的理由があるとはいえない。しかし、これは本来「告発」とすべきものを「請求」と規定したところに問題があるというべきであろう。)。あるいはまた、前記のように解すれば、前記第二百三十七条第二項のみならず第一項もまた準用されないこととなつて、告発取消の根拠規定がないこととなるのみならず、告訴は公訴の提起後は取り消すことができないのにかかわらず、告発はなんときでも取り消せることにもなつて不当な結果を生ずる、との議論もあるであろう。しかしながら、論旨第一点についての判断中で述べたように、告訴についても同条第一項の規定がその取消の根拠規定となるのではないと解するならば、その準用がなくとも告発の取り消が禁止されているということにはならない筈である。また、告発の取り消の時期に制限がないことになるのは、その当不当にはやや疑問がないわけではないけれども、これとても前記の解釈を覆すほどの強い理由となりうるものではない。むしろ刑事訴訟法中の相接する二個の規定の一つについては明文で請求と告発との二者が規定されており、他の一については請求のみが規定されているとすれば、その立法の理由が奈辺にあつたかはともかくとして、後者において告発は明らかに意識的に除外されていると解するほかはないのである。はたしてしからば、本件におけるがごとく一度告発の取消をした後ふたたび告発しても、その再度の告発は有効であるというべく、その他本件において右の告発を無効とすべき理由は見出すことができないので、本件公訴提起の手続は違法のものとはいえない。しかるに原判決は右公訴を刑事訴訟法第二百三十八条第四号により棄却したものであつて、要するに不法に公訴を棄却したことになるから、論旨はこの点において理由があるとしなければならない。
以上の次第であるから、刑事訴訟法第三百九十七条第三百七十八条第二号に従い原判決を破棄し、同法第三百九十八条により本件を原裁判所である清水簡易裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長判事 大塚今比古 判事 山田要治 判事 中野次雄)
控訴趣意
第一、原判決は国税犯則事件について告発の取消が出来るものと解しているが告発の取消は出来ないものである。原判決は法令の解釈適用を誤つた違法の判決である。即ち原判決は国税犯則事件の告発について刑事訴訟法第二三七条を類推適用し公訴の提起があるまで取消し得るものと解しているが国税犯則事件の告発は国税犯則取締法の規定に従つて為すべきであつて同法に告発の取消に関する規定がないから同事件については告発した後は之を取消す事は出来ないと解すべきである。
刑事訴訟法第二三七条第一項により告訴の取消を為し得る旨を規定した法意は親告罪の告訴は被害者の保護を主眼とするから告訴後これを取消すか否かは起訴前においては告訴人の自由に任せることとしてその取消を認めたのである。然るに税法上の告発は公益保護の為に官吏に課せられた告発の義務に基くものであつて当該官吏が公益保護上必要と判断したことが後に至つて其の必要性が消滅する謂れなく仮りに其の後の事情の変更により必要性の消滅する場合がありとしても起訴便宜主義の活用により救済の途があり亦一旦告発の効果を発生せしめた以上は検察権の作用によつてのみ処理せらるることを相当と思料する。これ国税犯則取締法に告発の取消を規定する条文を欠く所以である。従つて告発を取消しても取消の効果を生じないものとは謂わなければならない。
第二、原判決は収税官吏、大蔵事務官山崎錠一の検察官に対する供述調書の真意を理解せず誤認して公訴棄却の言渡をしたがこれは判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認である、即ち該調書の記載は、掛川の検察庁へ所持の違反で告発しまして検察庁で取調中密造をしたと謂う事を自白したとのことでありましたので更に調査した上製造違反で告発し様と思いまして昭和二十五年十一月三十日に告発の取下を出したのでありました。その後更に告発し様と思つている中、李元文が桜木村から何処かえ住所を引越しまして所在不明でありました為告発が遅れて居りました所、余り遅くなりまするので所持で告発を出したのでありました。というのであつて当初に告発した所持の事実には何等の変化もあつた訳でなく従つてこれに対する訴追を抛棄する意思が新に生じたと認むべき事情がない。告発の取下をしたことはいつているが犯情の重い製造の事実を更に告発しようとした事を供述したものに外ならない、所持に対する訴追を抛棄したのでないことは明白である、用語字句においては「告発の取消をした」「更に所持の告発をした」とあるが内容においては告発取消の意図は含んでいないものである。斯くの如き事実を目して告発の取消があつたと認定したのは重大なる事実の誤認をなしたものである。
第三、仮に判示所論のように告発の取消が出来るという見解をとるとしても一旦取消した以上更に同一事件について告発を為し得ないと解することは不合理であつて法の解釈適用を誤つておりその誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであると思料する。蓋し取消によつて再訴の余地がなくなるというのは親告罪の告訴及び請求をまつて受理すべき事件の請求に限られることは刑事訴訟法第二百三十七条の明定するところであつて告発については右のような制限は存しない。
刑事訴訟法上告発は一般の告発と官公吏の義務告発とに分れるが国税犯則事件に於ける収税官吏の告発は、この官吏職務上の義務告発に属し刑事訴訟法上の告発であつて同法第二百三十八条の適用を受けるものとも解せられる。同条に於て告発の取消を為し得ることを定めたのみで親告罪につき再告訴を禁じた同法第二百三十七条第二項の準用をことさらに除外している以上告発については再告発を妨げないものと解すべきこと亦自明である。告発は訴訟条件であつて公訴提起の時において具備せらるることを要件とするから公訴提起前において取消されたことがあつても再告発があれば訴訟条件として欠くところはない。国税違反事件について犯則者に通告処分を為し、その通告を履行しないとき告発をなすことは国税違反罪の処罰条件を為すものではなく検察官が公訴を提起するにつき訴訟条件を為すに過ぎないことは前記の通りであるから形式上適法に違反者に通告処分を為し、且つ告発の手続が行われている以上其の通告或は告発の内容が事実上相当でない場合でも検察官の公訴提起を不法とするものとは認められない。即ち昭和二十五年二月二十六日配達証明郵便によつて通告書を違反者に配達せられて居り、同二十七年四月十七日付掛川税務署長から静岡地方検察庁掛川支部検察官に対し告発が為されている事実があるのであるから判示の様に告発がないのに公訴を提起した場合と同一に解すべきでないことは火を見るより明らかである。